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出土碗」とは?波佐見焼の窯元・高山で発掘された戦時中の器

  • takayamahasami
  • 2022年6月14日
  • 読了時間: 4分

更新日:6 日前


出土碗の写真
現在の出土碗の様子


高山の敷地に今も残る「出土碗」。約80年の時を経て、土の中から姿を現しました。


株式会社高山の敷地の一角に、たくさんの古い茶碗が残されている場所があります。


初めてご覧になった方から、「これは何ですか?」「どうしてこんなにたくさんの器が?」と聞かれることもあります。


私たちは、この器を「出土碗(しゅつどわん)」と呼んでいます。


実はこれらは、近年捨てられたものではありません。


長い間、高山の敷地の土の中に眠っていた、昭和期の波佐見焼です。



|なぜ、器が土の中に埋められていたのでしょうか




土の中から発掘された出土碗。白地に藍色の文様が描かれています。


高山の4代目・高塚英治が祖母から聞いた話によると、その背景には戦争があったといいます。


戦時中の統制経済のもと、焼きものの生産も制限されていた時代。

当時、廃棄しなければならなかった器を、高山では捨てるのではなく、敷地内の土の中へ埋めたと伝えられています。


そこには、「戦争が終わったあと、食器に困らないように」という想いも込められていたそうです。


発掘されたものの多くは、焼き損じた器ではありません。


本来であれば、人々の暮らしの中で使われるはずだった茶碗でした。


白い器に藍色の絵付けが施された、小ぶりな染付の茶碗。


戦時中に土の中へ埋められ、長い年月を経て再び姿を現したことから、私たちは「出土碗」と呼んでいます。




|約80年の時を経て、再び地上へ




2022年、2023年に行われた出土碗の発掘。当時の器が次々と土の中から姿を現しました。

器が埋められているという話は、高塚家の中で長年伝えられていました。


そして2021年、高山の事業継承をきっかけに敷地の整備を検討する中で、この場所を発掘してみようという話が持ち上がります。


翌2022年春には、一般の方にもご参加いただき、発掘イベントを開催しました。

実際に土を掘り進めてみると、次々と姿を現す茶碗。


その数は、一度の発掘では掘り出しきれないほどでした。


長い間「この場所には昔の器が埋まっている」と語り継がれてきた話が、約80年の時を経て、目の前に姿を現したのです。



出土碗から見えてきた、当時の波佐見焼



出土碗には、当時の波佐見焼や高山の歴史を伝える手がかりが残されています。


発掘された茶碗について、波佐見町の学芸員による調査も行われました。


器の特徴などから昭和10年代につくられたものと推定され、さらに昭和16~17年(1941~1942年)ごろの可能性があると考えられています。


また、器に描かれているのは、藍色のシンプルな文様。


こうした器から、当時の波佐見焼のものづくりを知ることができます。


約80年前の職人がつくった器を、現在の私たちが手に取ることができる。

出土碗は、高山だけでなく、当時の波佐見焼を知る手がかりのひとつでもあります。



|今も、高山の敷地に残しています


現在の出土碗の様子
現在の出土碗の様子

草木の間に残る出土碗。現在も高山の敷地内で見ることができます。


発掘された出土碗のすべてを掘り出したわけではありません。


現在も高山の敷地には、多くの器が当時の場所に残されています。


草の間から覗く茶碗や、土に埋もれたままの器。

きれいに展示ケースへ収めるのではなく、あえてこの場所に残しているからこそ、約80年という時間を感じていただけるのかもしれません。


私たちにとっても、ここは高山が歩んできた歴史を伝えてくれる大切な場所です。



|工場見学の際に、ぜひご覧ください


工場見学の様子
工場見学の様子

草木の間に残る出土碗。現在も高山の敷地内で見ることができます。


発掘された出土碗のすべてを掘り出したわけではありません。


現在も高山の敷地には、多くの器が当時の場所に残されています。


草の間から覗く茶碗や、土に埋もれたままの器。


きれいに展示ケースへ収めるのではなく、あえてこの場所に残しているからこそ、約80年という時間を感じていただけるのかもしれません。


私たちにとっても、ここは高山が歩んできた歴史を伝えてくれる大切な場所です。



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ロゴ

株式会社高山

長崎県東彼杵郡波佐見町小樽郷757番地

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