明治時代
1860~1912年代
明治3年に皿山役所が閉鎖され、大村藩の支援が無くなると、巨大な登り窯は生産を停止するか、または、分割され個人所有の小規模な窯へと転じました。
明治時代の幕開けととももに、資本を失った波佐見窯業は存亡の危機を迎えましたが、陶工たちは新たな技術の開発や導入を積極的に行い、窯の火を絶やさぬように努めました。
![](https://static.wixstatic.com/media/f94d60_4a40c8c340f84c53a175e6aac8fb1906~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_866,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/f94d60_4a40c8c340f84c53a175e6aac8fb1906~mv2.jpg)
波佐見焼は自活の道を歩みだし、日用品を中心に生産を始め、再び江戸時代の活気を取り戻していきます。
この時代、もっとも盛んに生産されていたのは、徳利です。明治17年には波佐見全体で年間約10万本。明治中期には年間35万本も作られ、全国へ運ばれていたそう。
インスタグラムでも、同内容で投稿しております。
是非ご覧くださいませ。
Comentarios