こんにちは。
長崎県にある波佐見焼の窯元、高山です。
| 振り返る
イベント続きだった弊社。
ちょっと落ち着きましたね。
それでも
県内の学生さんたちがゼミのプログラムで来てくれたり
観光のお客様が体験や工場見学に来たり、と
来客が絶える事は無いようです。
| 令和6年6月、コンプラ瓶がニュースになってました
みなさん"コンプラ瓶"をご存知でしょうか。
知らない人、多数だと思う(私も当然知らなかった)
"コンプラ瓶"は醤油や酒の『輸出用磁器』です。
"木樽"だと風味が保てなかったんだって。
昔の人もちゃんとこだわってるんだなー
江戸後期から明治にかけて日本から輸出されていました。
骨董品としても人気があるそうで、レプリカも製造されているそう。
私もここ波佐見町で、観光客の方がコンプラ瓶をお土産に購入されているという話しを聞きますね。
その"コンプラ瓶"をオランダで研究されている方より
(どんな研究よっ)
実物12本が波佐見町に寄贈されたそうです。
輸出のおかげあってか、オランダでは「醤油」を使うレシピもあるそう。
面白いよねー。
| 波佐見の歴史を振り返る
もうトレーニングだよね。
定期的に振り返らないと忘れちゃう。
小さな町波佐見町。
ここで日本の伝統工芸である波佐見焼を造り続けています。
そんな波佐見焼の歴史は古く、1610~1620年代頃
文禄・慶長の役の折に連れ帰った朝鮮人陶工たちにより
磁器生産を開始したそう。
磁器の原料も見つかり、特に青磁が国内の富裕層に人気でした。
17世紀中頃になると、中国内乱の影響から貿易が難しくなった東南アジアが
日本の磁器に注目。海外へ向けた貿易が始まります。
この海外貿易も、1680年頃まで(中国の貿易復活)
江戸が1603年から、明治が1868年でしょう?
「江戸期~明治初期にかけて輸出されたコンプラ瓶」らしいので
この頃のものなんでしょうね。
この展示の様子、また次回お届けします。
ではまた
広報の大嶋でした
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